ひとり旅は気楽といえば気楽なのですが、すべて自分で決めないといけません。
事前にいろいろ行きたいところ、見たいところをきめるのですが、なれないのでガイドブックだけではなかなかイメージがわかないところがあります。
一晩寝て、なんとなくポルトガル・リスボンの雰囲気が分かってきたところで2日目はリスボン観光です。
ベレンの塔・発見のモニュメント・ジェロニモス修道院 をトラムに乗って観光する予定。
この3か所は同じエリアにあるので歩いて移動できるとのことで、10時オープンだけど、並ぶので9時にはホテルを出発した方がいいとの情報でした。
Browns Boutique Hotelの朝食
8時からの朝食でした。
かなり良かったです。
美味しくて、しっかりいただいて出発しました。
フルーツ
野菜
スクランブルエッグ
ゆで卵
カリカリベーコン
大豆トマト煮
ハム類
ヨーグルト類
ナッツ、ジャムなど
ジュース
パンが豊富
エッグタルトもあり
で、
もう食べきれないぐらいありました。
普段は朝食はあまり食べないほうなんですが、いただきました。
コヒーはカプチーノ、エスプレッソ、アメリカーノとありました。
私はカプチーノ♪
ポルトガル、リスボンの世界遺産 ジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメントへの行き方・チケットについて
トラム15Eで行くといいとの情報でしたが、フィゲイラ広場から乗ったのが(15)でした。
情報では、15Eはベレンの塔につくのでそこから、発見のモニュメントにもどって、ジェロニモス修道院 というのがルートとしては無駄のない観光のしかたということでしが。
が、15のトラムはまずジェロニモス修道院 が終点でそこでおろされます。
そうすると川の方に向かってあるくと、発見のモニュメントがみえてきました。
とりあえず、ジェロニモス修道院 を一番最後にと思っていたので、発見のモニュメントに向かいました。
リスボン「発見のモニュメント」
発見のモニュメント
発見のモニュメント(はっけんのモニュメント、Padrão dos Descobrimentos)は、ポルトガル・リスボン市西部ベレン地区のテージョ川岸にある大航海時代を記念した記念碑。ポルトガル語では「パドラオン・ドス・デスコブリメントス」という。Wikipediaより
エンリケ航海王子没後500年の記念行事として1960年にコンクリートで再建されたモニュメント。
エンリケ航海王子は記念碑にある像の一つとなり、川を見つめています。
エンリケ航海王子の後方に、その他の同時代の探検家、芸術家・科学者・地図制作者・宣教師ら約30名のポルトガル人の像が並んでいます。
記念碑正面にある石畳には多くのポルトガル人航海者が辿った航路を示す世界地図のモザイクになっています。
このモザイクは1960年に南アフリカ共和国から贈呈されたものだそうです。
ポルトガルから大航海に出た人達、その人達を応援するエンリケ航海王子。
一説によるとエンリケ航海王子は船酔いする人だったそうで、もちろん航海などにはでていません。
その昔このポルトガルから発見の旅に出た人達の思いはどんなものだったのでしょう?
中にはいると、世界地図にはポルトガルが「発見」した年が記述されているとのことでしたが、外からモニュメントを観て川沿いにベレンの塔に向かいました。
比較的天気も良く気持ちよく歩きました。
リスボン、発見のモニュメントからベレンの塔へ(ジェロニモス修道院のチケット購入)
歩きながら振り返ると発見のモニュメントと4月25日橋がきれいに見えました。
「4月25日橋」は、リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ、長さ2,277 mの吊り橋です。
1966年8月6日に開通、建設したのは、サンフランシスコのサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジと同じアメリカン・ブリッジです。
開通した当初は、当時のポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールにちなみ、サラザール橋と呼ばれていたそうですが、1974年4月25日のカーネーション革命のすぐ後に、その革命が起こった日の名称に改称された橋です。
ちょっと途中で遮られているので、川岸の道から、普通の道に戻ってたどり着きました。
けっこう並んでました。
塔の上から見ると列がかなり長くなっていました。早くて正解!
バレンの塔を司馬遼太郎が「街道をゆく」で”テージョ河の公女”とよんだそうです。
正式名称は「聖ヴィセンテの塔」というそうです。
入場するのにまた少し並びましたが、ここは30分弱ぐらいでした。
ここで、ジェロモニス修道院のチケットも買うことができました。
これはラッキーでした。
このチケットの購入で1時間はセーブできましたね。
このベレンの塔ですが、地下は水牢とのことで、こんなところにいれられたら体すぐこわすよねとおもいながら…満潮時にはかなりの上(砲台口のあたり)まで水があがってくるそうです。
中に入ってテージョ川をながめてポルトガルの古(いにしえ)に思いをはせたのでありました。
バレンの塔からジェロモニス修道院は歩いてもすぐなので川沿いではなく道路沿いにあるきました。
世界遺産のジェロモニス修道院
着いたとたんに長蛇の列で。。。
それでも、チケットをもっていたのですっとは入れて本当に良かったです。
これがなければ完全に1時間はならんだことでしょう。
教会の中
ヴァスコ・ダ・ガによるインド航路開拓及び、エンリケ航海王子の偉業を称え、1502年にマヌエル1世によって着工され、1511年に回廊など大部分が完成したものの、その後、マヌエル1世の死やスペインとポルトガルの同君連合による中断等もあり、最終的な完成には300年ほどの歳月を費やして完成されました。
建築資金は最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われたと言われています。
西門から入ってすぐの所に、ヴァスコ・ダ・ガマとルイス・デ・カモンイスの棺が安置されています。
修道院の中庭
壁面のアズレージョ(タイル画)も見事
堪能しました。
帰りもトラムで、その乗り場の前に有名なエッグタルトのお店「パスティス・デ・ベレン」がありました。
1837年創業とか。
また人がならんでるんですね。
いただきたいのはやまやまですが横目でみながらトラムでリスボン中心まで帰ってお昼にしました。
エッグタルトのお店「パスティス・デ・ベレン」
ポルトガルの食事 リスボン
歩きながらみてるのですが、道路にテントがはってあってレストランがいっぱいなんです。
メニューをもって呼び込みのお兄さんもいますよ。
でも、寒いんですよね。
私はレストランの中でいただきました。
魚料理とスープです。
とにかく、魚もですが、ジャガイモの茹でたのがドーンと、その存在感が半端ないんです。
美味しいジャガイモ、いえ、魚料理でした。
スープは苦手なパクチが入っていました。
でも、この旅行でパクチいりのスープを飲むたびにだんだんと慣れてきました。
スキ!とはいえませんが、いただけるまでになりました。
食事はシンプルで、魚やジャガイモって日本でも作れるなーって。
オリーブオイルもおいしかった。
2018「ひとり旅」ポルトガル・リスボン記
まとめ
なんだか、書きながら追体験して…気持ちはポルトガルに行ってました(笑)
午後は28番のトラムでリスボンをまわりました。
また書きます。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。