禅で料理が意味すること

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この記事の所要時間: 222

『ビジネスZEN入門』を読んで料理って修業のひとつなんだと知りました。

結局、料理というのは、自分たちが得てきた学びを生活の中で実践する一番よい手段なのだ。道元はそのことに気づかされたのです。
『ビジネスZEN入門』 松山大耕著 講談社+α新書より、

中国に渡った道元が年老いた現地の和尚さんが自分で食糧をもとめにきて、自分で料理をするすがたに、なぜ年老いてまで、自分でやるのですか、若い和尚さにやってもらえばいいのではと聞くと、「自分でやらなければ自分のためにならないだろう」といわれて衝撃をうけるのです。

「喜心」「老心」「大心」

「喜心」喜びをもってとりくむこと、準備することのよろこび。
「老心」周囲の人への思いをもってする
「大心」おおいなるこころ、つまりとらわれないということ。
どれだけいい食材が手に入ったかではなく、大切なのは、いい食材がはいっても喜びうかれないこと、または手元にあるわずかな材料であってもこれしかないと落ち込まないこと。要は与えられた環境や食材の中で、精一杯想いをこめて、最大限できることをやるのが大事ということなんだとか。
深いですね~

禅は今世界で注目されています

禅というほとたいそうな哲学があるわけではないですが、自分で料理することの大切さと、作る姿勢を教えてもらった本でした。料理だけにかぎらず、とても興味深く、なるほど~と思った本でした。
禅が、日本だけでなく世界で注目されて、世界のトップ企業のCEOの間でも禅に傾倒している人が多いそうですよ。特に亡くなったアップルのスティーブ・ジョブスは禅を実践していたとか京都の禅寺も訪づれていたようです。無駄を省いたシンプルなデザインに徹底的にこだわったのは、禅の精神によるものとか。

昨今、マインドフルネスの瞑想が話題になっていますが、源流は禅から。でも本質的には違うマインドだということ。

禅的瞑想はルーズ、つまり求めない。あるがままというか、無に近づいていく方法。
マインドフルネスとは、ゲイン、つまり結果を求めているという西洋的なとことがる。ストレスをなくすため、とかよく仕事の能率があがるように瞑想をするという結果を規定しての瞑想。
無になって、ただ素材に向かっていくみたいな境地にはなれてませんけど、きちんと素材と向き合うとか、料理にかかわるものに感謝の思いをもつとか、そういう気持ちを忘れないようにしたいなと思いました。

たかが自分一人のための料理、されどそこには多くの人や環境やいろいろの縁がつらなっているという節理を感じます。私は修業のために料理をしているということではないのですが、日常、自分の生活、周りの人とのかかわりの中で楽しんで料理をしています。

よい本でした。

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